※パパの日記です。
▲分娩台にて
予定日は6月8日。しかし、全く兆候はなくて、3日の検診でも、かなり遅れそうとの診断でした。ところが、いきなり5日土曜日の早朝、破水が起きました。
病院に電話すると、即入院の指示。パッキングを済ませ、タクシーで病院に向かいました。手続きを済ませ、妻だけ残ります。
その日は午後からお見舞い。軽い陣痛があるものの、全然の様子です。
次の日、6日の日曜日は今日か!と思いつつ、なんでも、妻によると、6月6日はダミアンの誕生日と一緒で、学校でいじめられると可哀想、とのこと。
できれば避けたいと言っていた「陣痛誘導剤」を、点滴でがんがんやります。しかし、その日もなし。18時位までがんばりますが、先生はあっさり、帰宅してしまいます。(おばあちゃんが目撃)
そして、7日、いよいよ生まないと羊水の中が濁ってきて、胎児に影響があるというので、今日ダメなら、帝王切開です。
15時位から、陣痛がいい感じになってきて、17時までがんばったら、分娩台に行きましょうということになりました。その頃から、看護婦さんに代わり、えらくべっぴんさんの助産婦さんがいろいろケアしてくださいます。
ただでさえ、痛がり屋の妻の相原さん、きっと、わめいてあばれたかったに違いありませんが、ちょうど同室に、それはそれは、妻いわく「すべての妊婦の気持ちを代弁した行動をとった」妊婦さんがいて、(その方はしまいには看護婦さんに「いい加減にしなさい」と、どなられていました)そのせいでしょうか、痛いながらもがんばりました。ぼくはと言えば、飽き性でこらえ性がないと言われつつ、背中からお尻の辺をさすり続けました。
17時をちょっとすぎて、ようやく分娩台に。(ぼくは立ち会い)しかし、まだまだらしく、たまに顔を出す位で、結構、二人だけの世界。3日間の入院中、15人近くゴボーヌキに抜かれて、病室にも、分娩台にも、妻一人だったので、静かな二人だけの世界です。
結局、いきんでもよいとお許しが出たのは19時近くでした。それまでは陣痛が来ても、ひたすら「ヒッヒッフー」を繰り返しだけで、いきむのはダメなのです。
だんだんと頭が出そうだよ、とか見えてきたよ、とか聞かされるのですが、全然見せてもらえませんでした。せっかく、立ち会ったのだからと、ちょろっ〜と見ようとすると、助産婦さんが、シーツをかけ直したりして、けん制します。結局、隣で手を握って、がんばれ、がんばれと汗を拭いたりするだけの妻の応援団でがまんしました。
そして20時38分、ついに生まれました。男だ!と声を上げそうになったら「女の子ですよ〜」と出鼻をくじかれます。おちんちんに見えたのはヘソの緒だったのです。
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