入院前日 |
![]() 外は梅雨入りして、曇り空。ぼーっとしていると、突然「はとバス」時代のガイド仲間だった浩子からの電話。 今浅草にいるので寄ってもいいかとのこと。もちろんOK。久々に思いがけず会うことが出来、とても嬉しい。 |
浩子といえば、約10ヶ月前にも突然の電話。 「子供がなかなか出来ない」と同じ悩みを持った浩子から、「女の子が産まれたの」と嬉しい報告の電話だった。一度、流産という苦い経験をしている彼女の喜びはひとしおだったことでしょう。 「良かったね。おめでとう!私もあやかりた〜い!」といって電話を切った2週間後、「妊娠判定薬」で妊娠を確認。 我が家では、妊娠はうつるらしいと「子授かりのあやかり浩子」と呼ばせていただくことになった。 |
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![]() そのときの朱理ちゃんがこんなに大きくなったとは。それにしてもかわいい! 私も早くマメちゃんがでてこないかと、益々楽しみになるわ。 |
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出産の話から子育ての話まで、はたまた旦那の愚痴まで話はおよび、あっという間の楽しい時間は過ぎました。 | |
20:00 |
旦那が仕事から帰宅したときは、浩子が帰ったあとのこと。 私の妊娠を本当に喜んでくれた旦那は、浩子に感謝のお礼を言いたかったし会いたかったと、とても残念そう。 朱理ちゃんのビデオを見て「かわいいね。」と、マメちゃんの誕生を待ち遠しそうにつぶやいる。 「まだまだまだなの。」とお腹をさすって私。旦那は「早く出てこ〜い!」と話しかけていました。 |
入院1日目 |
朝方まで仕事をしていた旦那が眠りについて間もないころ、熟睡したらなかなか起きない私が「あっ!」と大声を上げて飛び起きました。 「なんかもれてる〜!」とトイレに駆け込むと「どうした、どうした」と寝起きの悪い旦那も飛び起きました。 |
サラサラとおっしこのように透明の水が滴り落ちてくる。 「破水だ!」と叫ぶと、「落ち着け!」と旦那。 とりあえず、病院に電話。「診察券の番号を教えて下さい。」と言われ、「診察券がない!」とタオルで股を押さえながら、あわてて歩き回る私に、再度「落ち着くんだ!」と旦那。でも旦那も結構なあわてぶり。「何をしたらいい?」とただただウロウロ。 |
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すぐに入院との指示がでて、入院グッズを玄関に運ぶ。 日常使っていたものを追加で詰め込んでいると、洗面所でパチンパチンと音が・・・。「何だ?」と思って覗くと、旦那が爪を切っている。あわててるんだか、冷静なんだか・・・ちょっとあきれる私。これで少し私も冷静になった。(というより冷めた。) |
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タクシーをつかまえて、賛育会病院に向かう。状況に気が付いた運転手さんも、少し興奮気味。病院に着いたら、メーターを下げるのを忘れていたので、旦那と二人で大笑い。 それにしても、浩子の「あやかりパワー」おそるべし! |
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7:00 |
外来の時間外なので、入院病棟の分娩室で検査を受ける。すぐに破水かどうかをチェック。間違いなく破水とわかり、このまま入院となった。 でも、陣痛が来ているわけでもなく、子宮口が開いているわけでもないので、出産まではまだまだ時間がかかるとのこと。 |
あまり寝ていない旦那を引き留めるには、ちょっとかわいそうかなと一旦マンションに帰宅してもらう。 「一眠りしたらお昼には来てね」と痛くはないけど、不安な私。 「うん、わかった」と後ろ髪引かれる思いで旦那は帰っていった。 |
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まずは、6人収容可能の陣痛室に移され、産褥ショーツというお股の部分がマジックテープで開閉出来るものに着替え、おむつのようなナプキンをする。 まだまだ、水は出続けている。 少し、興奮したので疲れた。そういえば私もHPなんて作っていて寝たの2時くらいだったんだ。今のうちに寝ておこう。 |
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9:00 |
旦那からの連絡を受け、実家の父母と兄が駆けつけてくれた。 「まだだから良かったのに」と思っていたより元気に歩き回る私にホッとした様子。 面会時間前ということもあり、「一旦帰るね」と母。平気な顔していたけど、本当は誰かにそばにいてほしかった。 |
少し遅い朝食が出て(飛び入りだったので朝食を忘れられていた。)、しっかり食べた。陣痛妊婦用なのか、食べやすい小さなおにぎりだった。 | |
10:00 |
私が入院したとき、陣痛室に1人先客がいた。三橋さんという若い女の子。比較的小柄なのでお腹が余計大きく見える。 夕べ入院してきたらしく、朝から旦那さんが付き添って、仲良く競馬新聞片手に、明日の競馬を予想している。なんでも、妊婦は賭事に強いと言われているそうだ。 とはいえ、余裕だなぁと感心。 |
助産婦さんに「良く動いてね。」といわれ、うろうろしてもOKのサインが出る。 待ってました。春の入院生活の病室仲間が2人、無事出産して3Fの病棟にいるのだ。 さっそく、赤ちゃんの顔を見に行くが時間外でカーテンが閉まって見えず残念。部屋に顔を出すと2人ともすっきりした顔で迎えてくれた。 「おめでと〜!」と駆け寄ると、「鷹野さん、がんばってね〜!」と励ましのお言葉。「出すとすっきりするよ」といいながら「出産大変だった」とまだ生々しい体験談。 会陰切開はしたくないなぁとつくづく感じ、とにかく子宮口を柔らかくしなきゃと再決心。 |
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2Fの陣痛室に戻ると、三橋さんがうろうろと歩き始めて陣痛促進に余念がない。私も刺激されて、2Fから3Fまでの階段の上り下りを始めた。 皆さん筋肉痛になるほど上り下りしてるのよと聞いたので、破水していても心配ないことを確認し、いったりきたり。お腹は少し張るけど陣痛って感じじゃない。一汗かいてベットで休憩。 しばらくすると、お腹のモニターをとることになり、赤ちゃんの心音と陣痛の具合を確認。赤ちゃんは元気いっぱい。お腹の張りも微弱陣痛らしく定期的にくるようになっていた。でもその間10分間隔。もっと頑張って動くようにとのこと。 |
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12:00 |
昼食がでて、もりもり食べる。 「眠るのも食べるのも今のうちよ」と助産婦さん。来るべき時に向けて体力を蓄積しなきゃ。 |
14:00 |
再び階段を上り下りする。10往復したところで旦那に電話。午後になったら来ると言っていたけど、一体いつ来るのかと少しイライラ。 「寝てたよ〜。」とのんきに電話口に出る旦那。ムッとしたのを押さえて「よく眠れたの。良かったね。立ち会い出産も体力勝負だから今のうちに睡眠とっておかなき ゃね。」と私。 「あと少ししたら用意していくね。」と優しい声。私も気を取り直して「待ってるからね。」と受話器を置いた。 陣痛室に戻ると、三橋さんの旦那さんが彼女の腰をさすっていた。徐々に陣痛が強くなってきた様子。たまに、うなる声も聞こえる。 旦那がつきっきりな事も陣痛が来ていることも、ちょっとうらやましく思い、浜省のCDをヘッドホンで聞きながら少し眠る。 |
16:00 |
やっと、担当の先生が来て内診してもらった。まだ、1cmしか開いていないとのこと。破水して24時間たっても陣痛が来なかったら、ばい菌が入って赤ちゃんが危ないので帝王切開になりますと脅かされ、ドキドキ。 明日が誕生日になるのかなぁと考えたら、6月6日じゃ「オーメンのダミアン」と一緒じゃん!と気が重くなった。そうしたら、奥のベットの三橋さんが先生に「明日じゃダミアンなので、今日産みたい」と言って、「そんなこと言っている場合じゃない」とたしなめられていた。どこのお母さんも考えることは一緒なのね。口に出さないで良かった。 |
17:00 |
「あと少ししたら〜」と電話を切ってから、もう3時間。私の怒りは最高潮に達し再び電話をかける。 「寝てたよ〜。」とのんきに電話口に出る旦那。 「来る気がないなら来なくていい!!」ガチャッ!と激しく受話器を置き、陣痛室に戻った。三橋さんが旦那さんの肩を借りて陣痛の痛みを逃がす呼吸を二人でしている。ベットに一人で戻る私。少し興奮気味。 |
約束の時間を守らないのは、今に始まったことではない。独身時代からずいぶんとそのことで喧嘩をしたものだ。待ち合わせ場所に来ないので電話すると寝ていたのも今日が始めてではない。でも!今日は違うでしょう!のんきに寝ている場合ではないでしょう! 考え出したら、怒りが止まらない。 大体、立ち会い出産だって自分から是非やりたいと申し出たのに、一体どうゆうことだ。産む瞬間を見ることだけが立ち会い出産ではないことは、両親学級でも学んだはず。そういえば、両親学級でも居眠りをしていて何度私がつねって起こしたことか。 またまた、怒りがこみ上げる。 もう〜。一人で産んで一人で育ててやる! |
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18:30 |
「いや〜、遅くなっちゃた。産まれた?」と悪びらない態度の旦那がやっと登場。 口を閉ざした私。 「今朝もうすぐ産まれると思ったら興奮しちゃって、結局昼まで眠れなくてさぁ」 だって、14時に電話したとき、よく寝たって言っていたじゃない。よく言うわ。 「電話切ったあと、二度寝しちゃって」って、よく寝てられるわねぇ。妻がどうなってるか心配じゃないのかしら。あなたの子なのよ! 「もう離婚する。」と私。「えっ」と驚く旦那。 「あなたの誠意はよく分かった。もう離婚したい!マメちゃんは一人で産む。一人で育てる。立ち会い出産もしないで結構!」とつい声をあらげて泣いてしまった。きっと三橋さん夫婦にも聞こえてしまったはず。でも、恥ずかしいなんて言ってられない。 『出産離婚』なんてしゃれにならない。と頭をよぎる。 必死にあやまる旦那。精神的にブルーになって涙が止まらず「一生恨んでやる」と物騒な私。 |
結局は、許したもののこのとき許したことを、このあとの人生で後悔しないことを祈るばかりである。 | |
19:00 |
気の早い、実家のみんなが応援に駆けつけた。「もう産まれたかと思っちゃったわ」。両親、兄夫婦と甥っ子『一生』と『美咲』それに、兄嫁のお母さんと勢揃い。ありがたいことです。でも、まだまだみたいなの。それにしても、一戦終了後で良かった。 父があさってから、肝硬変が悪化して再々々入院。ぜび、入院前には、マメちゃんに会わせたいな。 |
19:30 |
ばたばたしていたので少し遅い夕飯を取る。今年、初のさくらんぼがでた。嬉しい。食後、子宮口を柔らかくして広げる薬を出されて飲んだ。 考えたら、この春1ヶ月以上も切迫早産で入院し、毎日点滴と薬を飲んでいた。もちろん、赤ちゃんに影響のないものとわかってはいたけれど。ここに来て急に不安になったりした。 |
21:00 |
陣痛室は陣痛に集中するためTVがおいていない。本を読む気にもなれない。お産のことで頭がいっぱい。 明日出産になるかもしれないし、ゆっくり寝ておこうと、ぐーぐー寝てしまった。奥の三橋さんは本格的な陣痛がきはじめて、苦しそうな声が。私の寝息がうらやましかったとのこと。 |
入院2日目 |
朝方、お腹がちくちくして目が覚めた。もしや、これが陣痛?時計とにらめっこしてみると5分おきの痛み。まさしく、マニュアル本通りの展開。しめしめと、ひとりほくそ笑んでいるとタイミング良く助産婦さんが、お腹のモニターをつけに来た。 「微弱陣痛が来てますね。」とこのまま自力で続いて良い陣痛につながれば、陣痛促進剤は打たずにすみそう。 |
それにしても、この程度の痛みなら毎月生理痛に悩まされていた私には楽勝である。「ちょっと生理痛のきつい痛みみたいですね。」と助産婦さんに聞くと、「そうおっしゃる方もいるんですよ。」との返事。な〜んだ。みんな陣痛痛いよと脅かすほどじゃないなとホッとした。 | |
8:00 |
陣痛の合間に朝食を取る。相変わらずの食欲。クロワッサンにバナナにシチューをペロリ。 でも、陣痛らしき痛みはあまり感じなくなってきた。 |
9:00 |
担当の先生が内診に来て、「陣痛弱いから促進剤だね。」と点滴の準備。助産婦さんは「促進剤は、ちまたでいわれているような心配はないのよ。」と励ましてくれる。最初は不安だった私も、兄嫁が2人とも促進剤使ったけど全然平気よと言ってくれたのを思い出し、「お願いします。」と踏み切った。 |
9:30 |
「促進剤うつから今日(出産)かもよ」と旦那と実家の母に電話。 ちょうど日曜日で13時から面会が出来るので、早めに行くねといわれ、電話を切る。旦那に期待しちゃ駄目だぞと自分に言い聞かせるが、本当はいますぐ来て欲しい。 |
12:00 |
少しずつ痛みが強くなってきた。間隔は10分おきくらい。点滴の量をだんだんと増やし始める。 |
14:00 |
実家の両親が来てくれた。父はこれからお通夜があるそうで母だけが残ってくれた。 今朝の自力の陣痛とは桁違いの痛みが襲ってきた。外は暑く、汗が吹き出てくる。誰だよ。陣痛なんて楽勝だっていったの。私だけど。 |
15:00 |
![]() のんきに構えてたからか、こんなに痛がってることになっているとは、さすがの旦那も驚いたようだ。 母と交代で背中や腰をさすってくれ、笑えないジョークで和ませてくれた。 この痛みの間、たった2人きりだった陣痛室も徐々に満員御礼になってきた。でも、うなっているのは三橋さんと私だけ。みんな我慢強いのね。 |
18:00 |
こんなに痛いのに、「陣痛が弱いなぁ。子宮口も開いていないなぁ。」と困った様子の先生。あまり促進剤を長く打っていると、陣痛で母胎が疲れてしまうので今日はやめましょうということになった。このまま、ひきつづき自力で陣痛が来たらしめたものという作戦に切り替えたわけだ。 私にしてみれば、点滴をはずせば楽になると思い、「早くはずせ〜。」という気分だったので、その作戦はとても嬉しかった。 |
21:00 |
父と兄が迎えに来て母が帰っていった。点滴をはずしても痛みは衰えることがなかった。 「ぜんぜん楽にならないじゃ〜ん。」と泣きべそ状態の私。見かねた旦那はもうしばらくいることにした。 |
21:30 |
消灯もすぎたので、旦那は一応帰ることになった。心配そうに「頑張れ」といって帰っていったが、帰りにプールで一泳ぎしていったことはどういうことだろうか。 その間に産まれたらどうすんだよ!ってかんじです。 ちなみに、両親たちも帰りに吾妻橋の大東縁で焼き肉を食べて帰ったとのこと。みんな、のんきでうらやましいぞ! |
22:00 |
三橋さんがいよいよ分娩室に移動となった。私の痛みは激しくなる一方。助産婦さんが「自力でいい陣痛が来始めましたよ。」と痛いながらも良い知らせ。 この晩は、痛みで眠ることがなかなか出来ず、他の妊婦さんには悪いなと思ったけどうんうんうなってうるさい夜を過ごしてしまった。 横になっていることも苦痛で、いてもたってもいられなく、正座して一晩過ごした。陣痛の合間にウトウト出来たが、なにが悲しくて正座してウトウトしなきゃならないんだ〜。 |
入院3日目 |
痛みで朝食も取れぬまま、苦痛の朝を迎える。朝10:00には来るといった旦那がやっと来たのは昼前だった。 先生から朝から促進剤をまた始めようといわれたのに、いっこうにその気配はない。これ以上痛くなるのはいやだと、わざと助産婦さんにも聞かなかった。自力の陣痛でこれだけ痛いんだから勘弁してよと思っていた。 |
13:00 |
![]() でも、恐怖の促進剤はスタートした。「昨日100まであげたから100からスタートして」と点滴の準備。助産婦さんが「10から上げっていった方がいいですよ」と先生ともめている。「どっちでもいいから早くうませろ〜〜」と心の中で叫ぶ私。 結局10からスタートし、すごい早さであげていくことになった。 あっというまに120になったときは、今までの陣痛と違いお尻の上のあたりがめちゃくちゃ痛くなってきた。 話は戻るが、内診の時、子宮口を手でぐわっと広げるのをやられたのが、ものすごくいたかった。「やめてくださ〜い!」と叫んでしまった。このときから、下腹部の痛みから腰やお尻の方の痛みに変わっていったような気がする。 |
14:00 |
陣痛室にすごいひとがやってきた。若そうな妊婦さんなのだが、叫ぶ・暴れる・言うこと聞かないの3連発。痛さでなにも考えられない状態の私も、彼女の一挙一動に耳を傾けてしまうほど。 「我慢しなさい!」「我慢できません!!」漫才のような真剣なやりとり。考えてみれば、すべての妊婦の心の叫びを彼女は代弁してくれていた。みんな、そうしたいのを理性とかで我慢してるんだろうな。 私も彼女の登場により、あまり痛い痛いと恥ずかしくて叫べなくなってきた。彼女がいなかったら、絶対もっと暴れていたはず。 騒ぐだけ騒ぎ、助産婦さんをはじめ先生に叱られながら、彼女はあっという間に分娩室にはいることになり、あっという間に出産してしまった。(声が大きいので陣痛室にもその様子が聞こえた。笑)うらやましいことです。 |
17.35 |
![]() どうにもこうにも痛くて、いても立ってもいられないという感じ。こんなに痛いのに、絶えずおしっこがしたくて、トイレに通わなければならないのも、ひどい話。しかも、やっとの思いで行っても、ひとったらしくらいしか出やしない。そのトイレで、また押し寄せる陣痛。トイレから「う〜ん、う〜ん」と暴れる声。ドアの向こうで「大丈夫か?」と心配そうな声の旦那。でも、こんな格好でドアを開けるわけにもいかない。パンツをずり下げたまま、壁に爪立てて痛みをこらえる私の姿を、誰にも見せるわけにはいかないのだ。 |
18:00 | ![]() そこに朗報!やっと、分娩台にのぼる許可が下りたのだ。このときをこの3日間、どんなに待ち望んだことか。「いきめる!」ことがこんなに嬉しいなんて。もうすぐ赤ちゃんに会えるよ。 まるで、もう産まれたかのように、母も旦那も「よかった〜。」とほっとした様子。まだまだ、これからが本番だ! |
18:15 | いよいよ分娩台へ移動。もちろん、マニュアル通りどんなに痛くても自分の足で、分娩室へ行き、分娩台にのぼるのだ。陣痛の波を縫って、やっとの事でのぼることが出来た。しかし、先生の姿はなく、助産婦さんも「まだねぇ。」とつぶやき、「しばらく待ってね。」と私と旦那を残し、去っていってしまった。 他の妊婦さんには先を越されているので、分娩室はシ〜ンと静まり返っている。陣痛が押し寄せるたびに「う〜、あ〜」という悲痛な私の声だけが響き渡り、旦那も私もその静けさに不安になってしまった。 |
18:50 | いよいよ大御所・先生の出番。例の足を掛ける台に太股をのせて、戦闘準備完了。ところが、まだ産道が開ききってないとのことで、いきみは禁止。痛みが来ても、痛みを逃がす「ひーひーふーふー」が更に続く。立ち会い出産を希望したことを旦那は後悔していないだろうか。一緒になって「ひーひーふーふー」と一生懸命に言っている。正直、私はもうそんな呼吸は出来ないほど苦しいし痛い。分娩室は、旦那の「ひーひーふーふー」だけがむなしく響き渡り、私は虫の息だ。 |
「う〜ん、まだだなぁ」と先生がぽつり。。。 え〜っ!!!?(涙) |
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さてさて、分娩台に上ってから約2時間半。20:38にマメちゃんは無事産まれます。
でも、その2時間半は、痛みでほとんど記憶がない...。(笑)
なんだかあっという間のような、ものすごい長い時間だったような。
思ってたより痛くなかったような、死ぬほど痛かったような。
マメちゃんが産まれた時に、涙が自然に流れたのは覚えてるんだけどなぁ。
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