パパの最近のブログ記事

※パパの日記です。


▲パパは昨年の12月、JamesBrownに握手してもらって、サインもしてもらったんだぜ。
ぐしゃぐしゃと書いてあるのは「I FEEL GOOD/JAMES BROWN」
このジャケットの写真の壁の文字は実際に投獄されていたときに自分で書いたんだってさ。

ただ「五体満足」であれば、それでいいと願っていた出産前。次は視力と聴覚だ。生まれて3週間、その視力は犬程度とのことだけど、一応、目も耳もいけそう。よかったねぇ〜。おっぱいのんで、ねんねして、うんこするだけのマシーンのまりんに、「歯だけは丈夫になって欲しい」「視力だけは落とさずにいて欲しい」と「〜だけは...」が増えていくばかり。

「丈夫でいて欲しい」「可愛くなって欲しい」「背が高くなって欲しい」「自然にありがとうが言える人になって欲しい」「好き嫌いなく育って欲しい」「英語が喋れるようになって欲しい」から始まって「ブラックミュージックに傾倒して欲しい」「ジェームズ・ブラウンを父方の祖父として、ジョージ・クリントンを母方の祖父として育って欲しい」など、親の勝手な妄想はとどまるところを知らない。

プロになるならないは自分の希望以上に運とかもあるからなんとも言えないけれど、音楽をやっていきたいといったときに、そういった環境を作っておいてあげたい、と思う。まずはピアノ。アップライトといいたいところだけど、デジタルピアノで当面は我慢してくれ。
次に、なんだか流行なんでなんだけど絶対音感。ピアノの他にも楽器を演奏する楽しさや、楽曲を作り出す神々しい稲妻に打たれるインスピレーションを体験させてやりたいとか思うけど、これは音楽版星一徹か? 度を過ぎないように行こう。

困るのは、妻と結構意見が違うことだ。
おそらく、子供心にパパの言うこととママの言うことの違いにとまどうに違いない。可哀想に... 
唯一共通しているのは「スイミング教室」に入れよう、ということ位だろうか。まりんという名前で泳げなかったりしたらシャレにならない。

いよいよ明日から妻とまりんが里帰りから帰ってくる。
沐浴(なんで沐浴って言うんだろう?)はそろそろやめて、お風呂に入れようということで、ぼくがその役目を仰せ使う。パパはお風呂好きだから、水には慣れ親しむような気がする。結局、まだ自分で沐浴させたのは一回だけだけど、何しているときより、沐浴のときこそ、赤ちゃんの無力さを思い知る。
この小動物はぼくらの助けなしでは何一つできないのだ。ありがとうの一つも言えない赤ん坊の前では誰も見返りなど求めない。これはDNAにプログラミングされたことなのだろうか?

ところで、旦那とあうのは、まりんだけじゃなく妻の私も久しぶり。そしたらこんな頭になっていた。びっくり。自分でもびっくりしている。変な旦那。

藤子不二雄の漫画に出てくる「ラ〜メンすすっている小池さん」みたいと、うっかり言ってしまった私。ごめんね。旦那さま。

お宮参りまで、少し落ち着くと良いね。

夜になって、パパが遊びにやってきました。

22日に女の子を出産したJagraの並木さんのお祝いに伺った帰りだそうです。まりんと2週間違いで、予定通りです。おめでとう!私も顔を見に行きた〜い!まりんの良いお友達になってくれると良いな。

忙しいパパは久しぶりのマリンとのご対面に大興奮。まりんは眠る暇がありません。(笑)

そんなまりんもおかげで夜は大興奮。夜中の2時までおばあちゃんと交代でのバトルが繰り広げられました。これにはパパも驚き、まりんが心配で、なんと11時までいてくれたんだよ。心配性のパパだね。

※パパの日記です。

なぜ、このサイトが「まめみむめもまりん」なのか? 名前について徒然なるままに。

超音波撮影っていうんだっけ? お腹の子供の大きさを豆つぶほど例えるので、最初についた名前が「マメ」。「マメちゃん」と呼んでいたのです。気が利いた名前だと思っていたら、ほとんどの妊婦さんがそう呼んでいるらしい。 「マメちゃん」は「マメ太郎、マメの助」になり、妻の母により「マメ千代」になった。思えば「マメ千代」が出た頃から女の子だと気づくべきだった。(妻はずっと知っていたのだけれど、生まれるまで(性別は)教えないでと頼んでいた)

ぼくの大好きな小説『ママ、アイ・ラブ・ユー/サローヤン』の中で、ママ・ガール(母親)は「あたしのかわいい蛙ちゃん、かわいいタンポポちゃん、かわいいキリギリスちゃん」 と呼ぶくだりがある。子供を動物や植物の名前で呼ぶのはいい。しかし、生まれたての「まりん」は、お腹がぷくっとして、がにまたで、本当にカエルちゃんなのでシャレにならない。

さて、「まりん」という名前、年輩の方は一瞬ギョッとするが、慣れるとなかなかよいらしい。深い意味はなく、ただ、あまりないだろうということで「ん」で終わる名前とか思っていたのだけれど、よくよく考えたら「しおん」「かれん」とか結構あるもんだ。「ん」がつく名前は「運がつく」からいい名前なんだって、と妻の近所のスナック「のんのん」のママさんが言ってくださった。そりゃ、いいね。

「まりん」の「ま」は「まさひろ」の「ま」、「りん」は「プリンス」の「りん」って説明しようと思うのだけれど、妻は私は関係ないの? というので「sanae」の「E」をとって、「marin」じゃなくて「marine」なんだということにしておいた。

通常、名前というと愛称という名の別称があるけど、「まりん」は「まりん」だろうと思っていたら、「まりっぺ」「まりね〜」とか、飛び出した。ぼくは「まりね」がいいと思うのだけど。

さて、最後に笑っちゃう話。生まれたよ〜と、実家に電話したら、普段というかここ10年で二言位しか喋っていない父が出た。酔っぱらっているのか、普段より饒舌で「最近は子供の子のつく名前が少ないから、これからはそういうのがいい」「画数とかも考えてやれ」とか言い出した。最後には「女の子はお嫁にいくんだから、相手の名字とあわせたときの画数も考えた方がいい」とのたまう。って、そんなの15年以上先の話だし、あらかじめわかんないって。

今でも、ついつい「マメ太郎」と呼んでしまう。わかってはいるけれど、10か月近くも呼んできた習慣はなかなか直らないのです。

忙しいのは何よりだけど、まりんと遊びたいね〜。