足立の実家での最後の朝を迎えました。まりんは・・・相変わらずの寝相です。日に日に激しくなってきました。
なんといっても、お腹にいたときから元気いっぱいに蹴っていた脚力がすごくて、かけている布団類はすべて蹴っ飛ばします。風邪ひくぞ〜!本当にパパにそっくり。
1999年7月アーカイブ
昨日お祝いに来てくれたちえちゃんが言っていました。
赤ちゃんがぐずっているときは悪魔が子守を、笑っているときは天使が子守をしているんだって。実は、これちえちゃんが二人目の子を育ててイライラしているときに、上の子供に言われたんだって。子供って詩人だね。
今日のまりんは、天使が子守をしているのか、神様が笑わせているのか、ごきげんでとてもイイコでした。
久々のかわいいショット!
おばあちゃんにベビーバスで沐浴してもらうのも今日が最後。おばあちゃんは寂しそう。明日からはパパとふつうのお風呂に入ります。すっかり、大きくなったマリンには、ベビーバスも窮屈そう。(大きめのベビーバスなのに。)
いつか使うかもと、ベビーバスは取っておくねと言われました。「まりんちゃんの弟か妹に使いたい」とまりんちゃんに話しかけていたけれど、私は思わず聞こえないふり。
どんどん大きくなるまりんちゃんを、おばあちゃんも私も嬉しいような寂しいような、複雑な気分です。
※パパの日記です。
▲パパは昨年の12月、JamesBrownに握手してもらって、サインもしてもらったんだぜ。
ぐしゃぐしゃと書いてあるのは「I FEEL GOOD/JAMES BROWN」
このジャケットの写真の壁の文字は実際に投獄されていたときに自分で書いたんだってさ。
ただ「五体満足」であれば、それでいいと願っていた出産前。次は視力と聴覚だ。生まれて3週間、その視力は犬程度とのことだけど、一応、目も耳もいけそう。よかったねぇ〜。おっぱいのんで、ねんねして、うんこするだけのマシーンのまりんに、「歯だけは丈夫になって欲しい」「視力だけは落とさずにいて欲しい」と「〜だけは...」が増えていくばかり。
「丈夫でいて欲しい」「可愛くなって欲しい」「背が高くなって欲しい」「自然にありがとうが言える人になって欲しい」「好き嫌いなく育って欲しい」「英語が喋れるようになって欲しい」から始まって「ブラックミュージックに傾倒して欲しい」「ジェームズ・ブラウンを父方の祖父として、ジョージ・クリントンを母方の祖父として育って欲しい」など、親の勝手な妄想はとどまるところを知らない。
プロになるならないは自分の希望以上に運とかもあるからなんとも言えないけれど、音楽をやっていきたいといったときに、そういった環境を作っておいてあげたい、と思う。まずはピアノ。アップライトといいたいところだけど、デジタルピアノで当面は我慢してくれ。
次に、なんだか流行なんでなんだけど絶対音感。ピアノの他にも楽器を演奏する楽しさや、楽曲を作り出す神々しい稲妻に打たれるインスピレーションを体験させてやりたいとか思うけど、これは音楽版星一徹か? 度を過ぎないように行こう。
困るのは、妻と結構意見が違うことだ。
おそらく、子供心にパパの言うこととママの言うことの違いにとまどうに違いない。可哀想に...
唯一共通しているのは「スイミング教室」に入れよう、ということ位だろうか。まりんという名前で泳げなかったりしたらシャレにならない。
いよいよ明日から妻とまりんが里帰りから帰ってくる。
沐浴(なんで沐浴って言うんだろう?)はそろそろやめて、お風呂に入れようということで、ぼくがその役目を仰せ使う。パパはお風呂好きだから、水には慣れ親しむような気がする。結局、まだ自分で沐浴させたのは一回だけだけど、何しているときより、沐浴のときこそ、赤ちゃんの無力さを思い知る。
この小動物はぼくらの助けなしでは何一つできないのだ。ありがとうの一つも言えない赤ん坊の前では誰も見返りなど求めない。これはDNAにプログラミングされたことなのだろうか?