7Fの栗田家のみなさんが早速お祝いにきてくれました。嬉しい!ひかちゃんが生まれて間もなくの私の妊娠にとても親身になってくれ、まりんの出産をとても喜んでくれています。本当にありがたいことです。
ちなみに、この日はまだ「まりん」という名前は付いていません。
まだまだ「まめちゃん」と呼んでいました。
7Fの栗田家のみなさんが早速お祝いにきてくれました。嬉しい!ひかちゃんが生まれて間もなくの私の妊娠にとても親身になってくれ、まりんの出産をとても喜んでくれています。本当にありがたいことです。
ちなみに、この日はまだ「まりん」という名前は付いていません。
まだまだ「まめちゃん」と呼んでいました。
出産から24時間たち、まりんは新生児室からママのベッドの横にやってきました。この病院は母子同室なのです。まだ、身体も本調子ではないのに、なれない赤ちゃんの世話ができるかとても不安です。
とりあえずはミルクとおむつだけなのですが、またおっぱいも出ないので結構大変。ミルク前と後には体重を測ります。どのくらいミルクを飲んだか測るためです。今日は3,108gです。ちょっと増えたね!
今日は、ミルクと沐浴の指導もあり、夜はまりんが寝ないし、もうぐったりです。
※パパの日記です。
▲生後2日
ついにぼくも人の親になりました。女の子が産まれたのです。
まだ、お腹の中にいた頃、語りかける決まり文句は「マメちゃん、男の子かよ?女の子かよ?」──妻は知っていたのですが、出産まで教えないで、とお願いしていました。
うーん、ずっと男の子とばかり思いこんでいたので、びっくり。名前はどうしよう?
6月7日は、ぼくが世界で一番リスペクトしている「プリンス」の誕生日でもあり、これは「紫」を使うしかないかな?と。
おまけに今年は1999年。プリンスには「1999」というヒット曲があり、できすぎ。でかしたぞ。(妻は何の興味もなし...)
紫音で「しおん」? 当日は朝から雨だったので、紫の雨(おっ、パープルレイン!)なんて、どう?とか言ってみたのですが、それじゃ、演歌だよ、と妻。
妊娠がわかってからというもの、ほとんど毎日名前会議に明け暮れていました。男の方はこれで決まりというのがあったのですが、女の子用は
「はなび」(音はよいが「花火」ではヘン)
「まりあ」(妻のお気に入り)
「美雨」(坂本教授と同じと聞いて却下)
「苺」(この漢字は使ってはいけないんだって。納得いかない。あと、子供なのに母のある名前もヘン)
「林檎」そもそも、妻との出会いはマック系スクールで一緒だったこと。しかし、今つけると「椎名林檎」と言われてしまう....
──あたりが候補にあがっていました。
そのうち、ふざけだして「ろびん」がいいとか言い出して、展開したのが「まりん」でした。「ん」のつく名前なんて、なかなかない。ところが、妻の母(まりんのおばあちゃん)が『いいじゃない』と急展開。結局これに決まりました。でも、こんな名前でいいのか? だって、父親は「海」とはなんの関係もない男だし(母も)これからも、名前の由来を聞かれたら困るのだ。
昨日の夜生まれたばかりのまりんは、まだ新生児室から出られません。ママのお見舞いにきたパパは、まりんが気になるので廊下を行ったりきたり。ミルクの時間はガラス張りの窓にカーテンが引かれてしまうので、まりんがみられなくなります。パパはがっかり。
※パパの日記です。
▲分娩台にて
予定日は6月8日。しかし、全く兆候はなくて、3日の検診でも、かなり遅れそうとの診断でした。ところが、いきなり5日土曜日の早朝、破水が起きました。
病院に電話すると、即入院の指示。パッキングを済ませ、タクシーで病院に向かいました。手続きを済ませ、妻だけ残ります。
その日は午後からお見舞い。軽い陣痛があるものの、全然の様子です。
次の日、6日の日曜日は今日か!と思いつつ、なんでも、妻によると、6月6日はダミアンの誕生日と一緒で、学校でいじめられると可哀想、とのこと。
できれば避けたいと言っていた「陣痛誘導剤」を、点滴でがんがんやります。しかし、その日もなし。18時位までがんばりますが、先生はあっさり、帰宅してしまいます。(おばあちゃんが目撃)
そして、7日、いよいよ生まないと羊水の中が濁ってきて、胎児に影響があるというので、今日ダメなら、帝王切開です。
15時位から、陣痛がいい感じになってきて、17時までがんばったら、分娩台に行きましょうということになりました。その頃から、看護婦さんに代わり、えらくべっぴんさんの助産婦さんがいろいろケアしてくださいます。
ただでさえ、痛がり屋の妻の相原さん、きっと、わめいてあばれたかったに違いありませんが、ちょうど同室に、それはそれは、妻いわく「すべての妊婦の気持ちを代弁した行動をとった」妊婦さんがいて、(その方はしまいには看護婦さんに「いい加減にしなさい」と、どなられていました)そのせいでしょうか、痛いながらもがんばりました。ぼくはと言えば、飽き性でこらえ性がないと言われつつ、背中からお尻の辺をさすり続けました。
17時をちょっとすぎて、ようやく分娩台に。(ぼくは立ち会い)しかし、まだまだらしく、たまに顔を出す位で、結構、二人だけの世界。3日間の入院中、15人近くゴボーヌキに抜かれて、病室にも、分娩台にも、妻一人だったので、静かな二人だけの世界です。
結局、いきんでもよいとお許しが出たのは19時近くでした。それまでは陣痛が来ても、ひたすら「ヒッヒッフー」を繰り返しだけで、いきむのはダメなのです。
だんだんと頭が出そうだよ、とか見えてきたよ、とか聞かされるのですが、全然見せてもらえませんでした。せっかく、立ち会ったのだからと、ちょろっ〜と見ようとすると、助産婦さんが、シーツをかけ直したりして、けん制します。結局、隣で手を握って、がんばれ、がんばれと汗を拭いたりするだけの妻の応援団でがまんしました。
そして20時38分、ついに生まれました。男だ!と声を上げそうになったら「女の子ですよ〜」と出鼻をくじかれます。おちんちんに見えたのはヘソの緒だったのです。